CONTENTS
 ありか通信 バックナンバー

Vol.179 平成28年1月

ありかのメッセージ

2016年が始まりました。
今日は1月4日です。今日からありか通信のスタートです。
今年はありか40歳の記念する年になりました。障害を持つ人は割合に早く天に召されやすいようですが、おかげさまで、ありかは元気に40歳を迎えられるようです。この調子で行けばきっと80歳くらいまでは生きられそうです。通信はあと40年は無理としても、両側にいる二人が、あと何年がんばれるかにかかっています。二人ともあと5年くらいと思っていますが、たぶん10年は持てるかなと思っています。皆さんもあと10年はお付き合いいただければ幸いです。

皆さんはどんな正月をお過ごしだったでしょうか。ありかのお正月はいつもと変わらないお正月でした。子供のころはお正月が楽しみだったのに、いつの間にかどこからかやってきて、いつの間にか過ぎてしまう感じで、特別な楽しみもない普通の日とあまり変わらない日々の暮らしになってしまいました。
わくわくするような華やかさもない、別に・・・・という感じになってしまったということは、ありかも年を取ったということでしょうか。皆さんはまだわくわくしてお正月をお過ごしだったでしょうか。お正月は初日の出が拝めましたでしょうか。ありかはありかのお家で元旦を迎えたので初日の出は拝めませんでした。心の中の初日の出を迎えられたのでそれでよしとしましょう。
皆さんは映画を何か見に行かれましたでしょうか。巷ではスターウォーズとか、はやっているようですが、皆さんはいかがですか。紅白歌合戦とかも見られましたでしょうか。ありかは特別大好きな歌手の人はいませんが、どなたか「荒城の月」を歌ってくだされば、年末じゃなくてもうれしい気分になります。
隣でどうして荒城の月が好きかをお知らせした方がいいんじゃないのと言いますが、今更ながら好きな理由を言わなくてもいいのです。この歌を歌っていただくと胸がジーンとして泣きたい気分になります。「みかんの花咲く丘」も好き。どなたか歌を歌いに来てくださるとありがたいです。
今、この通信を書いていますが、ゆっこが持ってきてくれたザラメのおせんべいを食べて一服してから書き始めています。ママと、ゆっこにはコーヒーを勧めています。
今年は仲良くやっていこうと思っています。何せあと10年続けるためには、この老体の二人を何とか支えていかなければなりません。ありかはこれからの世の中、支え合うということが大事になっていくと思います。皆さんどうぞ隣の人と支え合える関係を作って、楽しく、愉快に、朗らかに1年を過ごしましょう。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
   初春の 幸多き夢 ありかと共に
という文字が浮かびました。これは俳句でも、短歌でもなくありか流の歌でした。





ゆっこの徒然なるままに

何だかいつの間にかお正月が来て、三が日が過ぎ通常の生活が始まってしまいましたが、皆様はどんなお正月をお迎えだったでしょうか?
 我が家の孫たちもそれぞれ大きくなって(大学生、専門学校生、高校生、中学生、小学生)、バイトや受験生が(塾は元旦のみお休みで、2日は朝10時から夜7時まで勉強しているようです。受験生の皆さん、塾の先生方お疲れ様です)居るので、残念ながら総勢12人が揃いませんでしたが、夫の本家(久留米市北野町)に娘たち家族あわせて8人で出かけ、新年のごあいさつ、お屠蘇を交わし、87歳になるおばあちゃまのお誕生日(元旦生まれ)を14人で、お祝いをしました。
誕生ケーキを14人分に分けるのは大変だからと、家族別に分けてもらって、久々に小皿に載せて頂いたケーキを、夫と二人で突っつき合って頂きました。娘の所は4人でくっついて頂いて、なんだか楽しい時間でした。
毎年恒例の2日の太宰府詣は、まだ孫たちが小さいころは、大人6人がちびちゃん達6人を分担して、抱っこしたり、おんぶしたり、手を引いて、大勢の人ごみの中で迷子にならない様に(携帯など持ってなかった時代です) はぐれない様に人ごみの参道を歩き、神殿でお詣りを済ませた後は、太宰府園の遊園地でゴーカートやジェットコースターなど、乗り物にいっぱい乗って遊んで、帰りにはお茶屋さんに寄って、大人たちは“明太子ちゃんぽん”を食べて帰るのが楽しみでした。
ここ数年、遊園地は省かれ、神社でお詣りを済ませ破魔弓やお守りを買った後は、集合時間さえ決めておけば、それぞれが大好きなお店でお買い物をしている間、私たち夫婦はゆっくり椅子に座っておしゃべりしながら待っていられます。〆は相変わらず“明太子ちゃんぽん”を食べて帰る楽しみは変わっていません。

 4日に太宰府から買ってきた“ザラメのお煎餅”を持って、ありかさんに会いに行きました。相変わらずお元気で、「来月は40歳の誕生日だね、すごい、すっかりおばさんだね」と言ってしまいましたが、月日が経つのはなんと早いのでしょう。
初めてお会いしたのは19歳だったかな? 20歳だったかな? とにかく通信を始めて20年になるようです。20年の間に、「ありかちゃん」が「ありかさん」になり、私は「おばさん」から「おばあちゃん」になりました。その間ありかさんと時々旅に出ました。
岡山、広島、東京、佐渡、沖縄、四国、フランス(スイス)、京都、みんな善き思い出です。それにランチは篠栗に行ったり、糸島や日田方面に行ったりしたこともありました。
 来月のランチは久々にお誕生日会を兼ねて、ステキなお店に行けたらいいなと思います。その前に、今月のランチはどこに行きましょう。
段差のない、車椅子がスムーズに入れるステキなお店に出会えたら良いなと思います。

 5日は夫と山田洋次監督の「母と暮らせば」の映画に行きました。
お母さん役は吉永小百合さん、長崎の原爆で亡くなった息子役は嵐の二宮和也さん、その恋人役は黒木華さんで、作家「井上ひさし」さんの「父と暮らせば」と対になる作品をと、山田洋次監督が泉下の井上ひさしさんと語り合うような思いで脚本を書かれ、生涯で一番大事な作品を作ろうという思いでこの映画の製作にのぞまれたそうで、とても優しくて感動的な映画で、いっぱい泣きました。
戦後の貧しさや悲しさ、苦しさが、昭和23年生まれの私にも思い出される場面がありました。
映画館内はスターウオーズの影響か、冬休みだからなのか、お客様が多かったのですが、「母と暮らせば」の劇場もいつもより多かったのですが、見渡せばほとんどが同じ年代の方ばかりでした。

6日から通常に戻りましたが、今年はあったかくて朝散歩に出て、宝満川の堤防沿いを歩くと、もう菜の花が群生していて、今朝はヒバリの鳴き声も聴きました。
「初春のお喜びを申し上げます」と年賀状に書いてありましたが、本当に春を感じています。春は嬉しいです。
灯油代も少しだけ値下がりしていて、ホッとします。
寒い時はあったかさが何よりのもてなしのように思え、お客様がお出でになる30分前には、ホットカーペットを入れヒーターをつけておくと、お部屋に入るなり「あったか〜い」と言われ嬉しくなります。
子どもの頃は火鉢かお炬燵しかなくて、寒くて手や足、耳にも“しもやけ”が出来ていました。いつも火のそばから離れられなくて怒られていました。
勉強熱心の姉は、みんなが寝静まってもお炬燵の中で勉強をしていて、練炭の火が消えかかるとお炬燵の中にもぐりこんで、顔だけ出して寝込んでいる姿を見て、母は「むじょかね〜(かわいそう)」と言って、朝起きると慌てて火を熾してたようでした。
その母は、家業の豆腐屋で水を扱うので、冬場は靴下を2枚履き、3枚履きをしていて、前掛けをきりりと締めて、小さな体でよく働いていました。そういえば私もずいぶん重ね着をして、綿入り半纏を羽織って、まん丸くなっていました。
今はお部屋全体があったかくて、薄着で大丈夫、ありがたいです。

受験生の皆さんは、あとちょっと本当に大変でしょうが、お体に気をつけて、実力が発揮できますように願っています。
 皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します 

 


 



 


 







 

 









 

 




 







 


 








 







 

 

 

 

バックナンバー
ありかネットワーク
福岡県福岡市博多区相生町3-2-6-106
(TEL)092-581-9683 (E-mail):info@arikanetwork.com
2005 ArikaNetwork all rights reserved.