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 ありか通信 バックナンバー

Vol.173 平成27年7月

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ありかのメッセージ

7月もだいぶ過ぎてしまいました。まだ梅雨明けしていないので6月のような気がします。
もうみんなは夏休みの計画を立てているのですか?学生さんはもうすぐ夏休み、どんなにわくわくしていることでしょう。
ありかには、夏休みも、盆休みもありません。皆さんはいかがですか?
ありかにとっては通信を書くことや、絵を描いてカレンダーにすることが仕事だと思っています。

皆さんの仕事は楽しいですか。夢がありますか。
今、ママが御用でいなくなり、通信をゆっこと二人で書いています。二人だと書きとってくれる人がいないので、字が重ならないように、あとから読み返せるように注意しながら書いていくことになります。

小澤征爾さんの指揮するクラシック音楽を聴きながらゆったりしながら書いています。ゆっこは横向きで、ありかの頭突きをかわしながら、体制が苦しそうになりながら書いています。
サポーターがいないので筆談するのは大変だと思います。これを10数年やり続けてくれたゆっこは偉いと思います。この横向きの姿勢を保つのは腰痛、肩こりに悩まされていると思います。ママが戻ってきて体制が整いました。だからと言って何を書こうかなとちょっと迷い気味。
夏休みの旅の話をしていたような気がします。横から計画でしょうと突っ込まれましたが、ありかに取っては同じ意味。みんないいよ、十分楽しんでね。一回きりの人生だよ。楽しまなきゃ損だよ。

ありかを育ててくれたパパは戦争中に中国で中国人のお母さんと日本人のお父さんの間に生まれたそうです。そのおかあさんの縁続きの方が東京に来られるという話を聞いて、何だか血というものとか、遠い遠い過去の思いとかがなんだか不思議な感じがします。
中国の人と仲良くすることが、平和活動につながるのでしょう。個人対個人がもっとつながりあえば領土問題なんかも大きくこじれないかもしれないね。みんな友達、みんな兄弟になれたらいいのにね。

みんな分け合えばいいけれど、あまりある資源も、競争して奪えあえば足りない感が出てくると思う。それはただの恐怖であって本当のことではないと思います。
みんな愛し合いましょう。まずは家族から、友達から、親戚の人たち、町内の人たち、みんなみんな仲良くなーれ。



ゆっこの徒然なるままに

今日は梅雨の中休み、今年の梅雨は今のところ穏やかで、中休みもあって家がカビなくて助かっています。梅雨が明ければ台風シーズンがやって来るし、カーッと暑さが寄せてくるのでしょうね。体力をつけておかないと…と思って、朝の散歩を始めました。

 6月の末に「看取り学講座・初級コース」というのに参加しました。
一般社団法人 日本看取り士会の柴田久美子さんが、4年前に“看取り士”と無償ボランティア“エンゼルチーム”の仕組みを創られたそうで、65歳以上の割合が25%をこえ、厚生省によると、2025年団塊世代の方々が高齢になられた時、47万人の方の死に場所がないと言われているそうです。
 柴田さんの夢は、「すべての人が最期、愛されていると感じて旅立てる社会創り」だそうで、岡山市で在宅支援活動、新たな終末期のモデルを作ろうとして、全国各地に「死の文化」を伝える為に死を語る講演活動をされています。
講座の中で「死生観について」というタイトルで自分の思いを書く時間がありました。いきなり“死生観”の文字を見た時、「う〜ん」と考えてしまいました。「難しい…」皆さんはどんな死生観をお持ちなのでしょうね。(死生観=死と生についての考え方、生き方、死に方についての考え方)
夫婦で尊厳死協会に入会して10年ほどになるものの、毎年元旦には私の緊急時や葬儀の時の連絡先のリストをチェックして、壁に張ってはいるのですが…、まだ、私にとっての“死”は遠いもののように思えていて、今回、自分の死に方、生き方を見つめる時間が取れて良かったなと思っています。
看取りの場面は「言葉を超えた魂の交流」と呼ばれ、言葉を超えたところにこそ、人間の温もりがあり、愛があるそうで、人が旅立つときは、弱者になって言葉も身体も使えなくなると、霊性が磨かれ、弱者の中の弱者は愛が深く、その愛が周りを変えるそうです。
旅立ちは逝く方の人生最後の事業、一生に一度だけの大仕事で、人が死ぬ瞬間に何かがエネルギーにかえて、命のバトンを手渡しながら、肉体への執着を離れ、心にとらわれがなくなった時に、魂の故郷へ帰っていくそうです。

二年ほど前、小郡市の総合福祉センターで柴田久美子さんの講演会を開催した時も、柴田さんは常ににこやかで「やさしく、やさしく、やさしく」と、どんな人にも穏やかに微笑んで、丁寧に対応されていましたが、柴田さんは、どんな人に対しても、最もバランスのとりにくい場面において、あったかい心と冷静さを保ち、優しい言葉で話し、「やさしく、やさしく、やさしく」をモットーにされているそうです。
1回目の「やさしく」は、自分自身の耳に聞かせ、2回目の「やさしく」は、自分の心に聞かせ、そして、3回目の「やさしく」は、自分の魂に届け、旅立つ方の魂と交流するので、まずは「自分自身の日常の暮らし、そのものを丁寧に優しく生きること」だそうです。
なんだか柴田さんの生き方、あり方は到底まねできないのですが、そんな生き方をされている看取り士さんに最期を看取られたら、幸せかも…、安心かも…と思います。
私も少し学んでみようと思います。

「もっと、あの世に聞いた、この世の仕組み」(サンマーク出版、雲黒彩斎著)という本を読んでいます。その中に次のようなことが書いてありました。
外側へ向かおうとする感情を抑え込んでいると、僕たちの活動エネルギーはその部分に浪費されます。その分だけ、自分の行動も抑制されてしまう。そのことが、原因不明の疲労、モチベーションや気力の低下、不眠(思考の暴走)などに繋がり、うつ症状をもたらします。
「あらゆる感情は、無理に抑え込まない方がいい、もちろんその中には“怒り”や“悲しみ”も含まれています(だからと言って、まわりに当たり散らせばいいと言うことではありません)
自分の中から湧き出る衝動を抑え込まずに、一度素直に感じてみる。怒りや悲しみなど、ネガティブと言われるものを避けることなく、ありとあらゆる感情を感じてみる。実は怒りも悲しみも、外から訪れるものではありません。生まれた時からすでに内在しているものなのです
感情の解放のコツは、誰かや何かを恨まず、また、自分自身も責めることなく、その感情の存在を認めること。「○〇だから、腹が立つんだ」と、苛立ちと状況を結び付けることなく、ただ、そこに怒りがあることを感じること。誰かや何かに罪をなすり付けるのではなく、味わうこと。
叫ぶ、泣く、笑う。それが素直に出来るようになると、「心の運動不足」や「感情面での不感症状態」が解消されて、エネルギーのゆがみは徐々に消えていきます。
今までは、「こんな風になったのは母のせい」だとか、「あの人がこんなことを言うから腹が立つ」と、人のせいで自分の感情が乱されたと思っていたり、「どうせ私が要らないことを言ったから、こうなったのよね」と自分に矢を向け苦しくなっていました。
感情を吐き出すことは大事だと知っていたので、話しを聴いてもらう時は、誰かや何かのせいにしたり、自分を責めるような話しをして、怒ったり、泣いたりして気持ちを治めていましたが、ただ、「悔しい」、「悲しい」、「いきなり怒られて、びっくりした」、「怖かった」、「イヤだった」「痛かった」という感情を感じ尽くすことで、自分や人のせいという状況を感情と結びつけないことなんだと、ちょっと気づけました。

皆さんも、何か腹正しいことがあっても、決してあの人のせいにせず、自分のせいにせず、ただただ「はらがたつ〜!」と感情を認めてみませんか?!
私、やってみようと思います。
やれるかな〜???

 







 

 









 

 




 







 


 








 







 

 

 

 

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