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 ありか通信 バックナンバー

Vol.159 平成26年5月

ありかのメッセージ

皆さん、お待ちかねのゴールデンウィークの真っ盛りですね。
ありかもこのたびエルガーラというところで、上に住んでいる仲間と絵画展を企画しました。久しぶりに皆さんにありかの絵を見てもらいたいと思っています。

先日の「地球・愛・祭り」にも来ていただいた方々にありがとうとお伝えしたいです。

作品を作る者にとって見てもらう、感じてもらうというのはとっても嬉しくてありがたいことなのです。絵の上手、下手にかかわらず、見ていただく機会があると勇気をいただきます。
どうか今回、お暇がある人もない人も、ぜひ一度ありかの世界を感じに来てください。きっと何かを感じていただけるのではないかと思います。
ありかはこの展示会でありかの思いを伝えたくて、一人でも多くの方に見てほしくて、今日はメッセージを書いています。

皆さん、今生きているのが楽しいですか?わくわくしていますか?
本来、人はみな幸せを味わうために生まれ生きているのだと言われます。
他の人と比べられたり、あなたが悪いと、判断されたり、否定されたり、まるでそのままの貴女ではいけない、もっと違う人にならなければいけませんと言われてきたように思えて、今の自分を否定して生きてきませんでしたか?
わくわくする人生にほど遠い生き方をしてきたのではないでしょうか。
本来、人はそのまんま、今のまんまの貴方がよくて今の姿で誕生したのです。
ありかはいつもいつも、そのまんまでいいよと伝えてきたように思いますが、まだそのまんまではいけないように思ってしまっている方が、この世の中、多いように思います。
ありかは生きていていいよ、大事だよと思ってくださるのなら、そう思ってくださるあなたも、そのままでいいはずです。
横からとても参考になるご意見を賜りましたので(笑)ご紹介します。

ありかはこうやって皆さんにメッセージを書いている時、集中できなくて時々、おせんべいが食べたいとか、歌を歌ってほしいとか言い出します。とてもありかはわがままなのです。それでいて、とてもかっこつけたことを書いているでしょう。それでも、そんなありかで良いのだと思っています。どんな自分もそれでいいよと思えたときに、大きな大きな宇宙のエネルギーが、それを受け入れて、認めてくれて、いいように図ってくださるのではないかと思います。

こんな私じゃダメ、こんな私は価値がないとか、生まれてこなけりゃよかったと思いこむと、そうなんだね、そう思うよね、と、自分がそんな自分を受け入れると、そんな人生が始まるような気がします。

皆さん、「今日からこのまんまの私が、うれしい、楽しい、幸せな人生を生きていきます。ありがとうございます。」と、心の中で何度も何度もつぶやいてみませんか。何度もつぶやいたら、今度は口に出してみましょう。恥ずかしかったら、カーテンを閉め、ふすまを閉め、素敵な音楽を聴きながら「はい、私は・・・・・・・」これを何回か声に出したら、あとは笑顔になって、今日から新しい人生を送ります。スタートです。始まりましたよ、新しいあなたが生まれ変わりました。ほら、輝き始めましたよ。

ありかの絵には夢があるでしょ。ロマンがあるでしょう。かわいいでしょう。元気がでるでしょう。
さあ みんな おいで、おいで。
元気が出たら隣の人に、おすそわけ、
ほら 隣の人も元気になったよ。



ゆっこの徒然なるままに

数日前から、気持ちが落ち込んでいました。
きっとまた批判される。評価される。あ〜もう嫌だ。こんな役目(仕事)もこのグループを辞めてしまったら、批判さなくて済むのに…。と、考え憂鬱でした。
そんな時、パソコンを扱っていた時、偶然に讃美歌320番を聴く機会がありました。

主よ、御許に 近づかん 登る道は 十字架に
ありとも など 悲しむべき 主よ、御許に 近づかん

さすらう間に 日は暮れ 石の上の 仮寝の
夢にもなお 天(あめ)を望み 主よ、御許に 近づかん

うつし世をば 離れて 天駆ける日 来たらば
いよよ近く 御許に行き 主の御顔(みかお)を 仰ぎ見ん

なぜか涙が頬を伝いました。
自分の役割に自信がなく、評価されるのが怖くて、相手を「批判する人だ」と決めつけ、(私が相手を批判しているのに気付かず)「批判するのは悪いこと、批判しないで!」と批判されるのを怖がっていました。
讃美歌を聴いた日から数日後、娘がいい本だよと紹介した本「修養団・元伊勢道場長の中山靖雄さん」の「すべては今のためにあったこと」を手に取り(最初の数ページを読んでほっといた本)、一気に読みました。

「天から与えられたお役目はみな尊い」、「駕籠に乗る人、担ぐ人、草履を作る人」役割に上下はありません。
天から与えられた役割を素直に、ありがたくとらえて、喜びをもって務めるのです。
天から与えられた「役割」を天に使ってもらうということが大切です。
「役割」が「立派」なのではなく、その「役割」をどうとらえて生きるかによって、「人生の立派さ」が変わってきます。
「役割」をいいふうにとらえて、生きることが出来るか、出来ないかは「自分があるか、ないか」と言うところに関わってきます。
天から与えららえた「役割」として、天に使ってもらうという思いが大事なのです。
悪いときこそ「いいふうに」取れるかどうかが大事です。
済んだことはみんないいこと、これから起こることもみんないいことです。
読んでいくうちに涙があふれました。人から押し付けられ、断りそこなって受けた役割と思っていて、「させられている」「してやっている」という思いでした。
天から与えられた役割とは、母親という役割、妻の役割、子どもの役割、先生の役割、生徒の役割、子ども会の役割、老人会の役割などなど、みんなみんな天から与えられた役割だったのですね。
私が評価されると怖がっていたその方も、そういう役割を担って下さった方なのだと思えると、自分の役割にも気付けました。
なんだか素直な気持ちになりました。「喜んでこの役割を務めさせて下さい」と思えたら、その方に感謝の気持ちさえ湧いてきました。
不思議です。なんだか清々しい気持ちになって、その方とお会いしたら、何か今までとは少し違う流れになってきたように感じました。
要は、私の問題だったのですね。人がどうとか、こうとかを言いたくなる時は、自分の心を見ていくことでした。又忘れて、人に指をさしていました。「ごめんなさい。許してください」です。
こんな風に何度も何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ賢くなっていくのでしょうか。まだまだ学んでいくことは多そうです。
今世の学びは、今世のうちに終わりたいものです。




 

 




 







 


 








 







 

 

 

 

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