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 ありか通信 バックナンバー

Vol.143 平成25年1月

ありかのメッセージ


皆さんお正月はいかがおすごしでしたでしょうか?
ありかは仲間たちが割合に早くチューリップハウスに戻ってきてくれたので、とっても嬉しかったです。ずっと以前は、ママとの関係しかなかったので、お正月はそれはそれは大変だったのですが、仲間と生活できるようになってからは、とても快適な環境にいます。

ありか通信を始めてもう10年は過ぎてしまいましたのでマンネリ化してきたのではないかと思い始めています。ありかにとっては、自分の思いを皆さんに聞いてもらう場として、これからも続けていこうと思っていますが、2月で又、更新の時期になりますので、もう飽きたよという方は遠慮せずに登録しなくてもいいですよ。ありかのことを大事に思ってくださって本当に、長い間読んでくださってありがたいと思います。
ありかはありかのためにこれからも毎月欠かさず書いていこうと思いますが、皆さんどうぞお気遣いなく自分の意志で続けていただいても、やめていただいてもいいですよ。
ありかはゆっことくっつきながら、こうやって通信を書いている時は、とっても幸せを感じます。皆さんはどんな時に幸せを感じますか。人のぬくもりを感じるとき、ありかはあ〜生きていて良かったと思います。それは手や体が触れるという意味だけではなく、心に触れるときあ〜ありかのこと、大事にしてもらっているとか、あ〜ありかの事が好きなんだなーと感じます。
心の触れ合い、それは愛のある言葉、仕草、人が人を思う心、そんな何気ない一言や、何気ない思いやりがあればいいなと思っています。
ありかはその何気ないことが大好きです。ゆっこは時々その何気ない心遣いをします。
マヤ歴では昨年で終わりだと言われていたようなことを聞いたように思いますが、今年もなんでだか続いていますね。続いているということは今年も生きていくということなのですよね。ありがたいことです。生きているからこそ、あったかい思いも感じることができます。時には悲しいことや、辛いことも感じることもありますが、きっとそれは幸せになるための、ちょっとした試練と、ありかは気がするのです。みんなが幸せになるためにちょっとだけ、いろんな体験をすることになるのではないでしょうか。どうかその体験に出会った時、これは幸せになるための下準備なのだと思っていいのではないでしょうか。

ありかには一つだけ気がかりなことがあります。それは、ありかはママよりもきっと長生きすると思います。ありかは多分70歳くらいまで生きるとしたら、もうすぐ37歳なので、あと30年は生きます。ママはあと30年生きることはとても、逆立ちしても無理だと思います。その時にありかはたぶん今の形で生きていくと思うけれど、ママはどうなるのでしょうか。今のままの形でママと一緒にぎりぎりまで生活ができることが一番の幸せなのでしょうか。
やはり近くで大好きな人に囲まれて生活すること、地域に住むこと、これはとても大事なことと思います。ママが歩けないようになったとしても、隣に住んでいれば顔を見ることができるし声を聴くこともできるので、やはり今のままの生活を維持できることがいいと思います。
そのことは先になって考える。でも今の気がかりはなんたってママのことです。ママが元気でさえいてくれれば何の心配もありません。



ゆっこの徒然なるままに

早いもので、いつの間にか今年も年が明けて一週間が過ぎました。
お正月になる前は、長い休暇をどう過ごそうかと思っていましたが、「体力温存型」と言えば聞こえが良いのですが、「食べては寝る」という日々を過ごしました。
いつもは、どこか頑張ってないと価値がないと思っている節があって、休みなく仕事に頑張っていましたが、娘達家族と一緒に夫の本家と太宰府神社に2日の日にお参りに行っただけで、あとは一週間家でごろごろして過ごしました。

年末から私の胸の中で何かモヤっとしたものを感じていたので、その気持ちに「この気持ち何なの?何を感じているの? 何だかスッキリしない、パワーが出ないのは何故? この気持ちどこから来ているの?」と少し向き合い始めると、年末に仕事で仲良しの友達と競争みたいになって、ちょっと気になったけど、「そんなこと、たいしたことはない」と、ザワっとした気持ちを飲み込んでいましたが、どうもそれが引っ掛かっているようで、その気持ちをゆっくり感じてみると(見ていくと)、お正月に活気がなく、ごろごろとしていた原因も、実はここだったのかな〜とやっと気付けました。
それに、子どもの頃に競争させられていた事と繋がっているように思えます。
5人兄弟の末っ子の私は、通信簿をもらう度に姉や兄と比べられて、「あ〜、私は何でこんなに頭が悪いんだろう」と思い、その思いは大人になっていく時に「価値のないダメな私」という思いに変わっていきました。
小学生の私は勉強が嫌いで、先生から当てられるのが怖くて、いつもおどおどしていました。実際すごい先生で、三角定規の角で頭をこつかれたり、1m定規でおしりを叩かれたり、鼻をピンされたり、耳を引っ張られたり、チョークを投げられたりして、とっても怖かったのです。今だったらきっと教育委員会で問題になるでしょうね。
自分が叩かれるのも怖かったけれど、仲良しの友達が叩かれるのを見るのも怖かったです。そんな怖がっている私に久しぶりに出会いました(思い出しました)。
あの頃の小さな私に「叩かれるの怖いね」「イヤだ、止めてと言って良いよ」「泣きたくなったら泣いて良いよ」「人間は点数で評価されるものじゃないよね」「今のまんまの由紀ちゃんで良いんだよ」「そのままの由紀ちゃんが大好き」と言って抱きしめてあげたいのですが、受け入れてもらえない感じがします。
気持ちを丁寧にみていくと、小さい由紀ちゃんが「バカにすんな!」「ふざけんな!」と怒っているようです。いっぱい怒りたいけど怒れない由紀ちゃんがいます。
小さい由紀ちゃんは「そのまんまで良いこと」や「そのまんまで価値があること」「社会や親の価値観が間違っていること」を知っていて、知っているから怒っているのですが、気付けば私もいつの間にか社会の価値観に呑み込まれてしまって、「点数(成績)やお金の有る無しで人間の価値が決まる」そんな考え方を持ってしまったようです。

そう言えば、私は「怒ること」「感情を出すこと」はあまり得意ではなく、腹が立っても癇癪を起さずに、いつの間にか自分の感情を閉じこめてしまって、怒りを出す人を批判して、怒らない人の方が偉いんだと思いこもうとしています。どこかで「感情には、良いも悪いもない。ただただ吐き出せばよい」の言葉が頭をよぎりますが、怒りを吐き出せない私です。
感じたことを感じたように言葉に出すレッスンをしていこうと思います。ちょっと怖いけれど、自分の気持ちを大事にすることが、今、大切な様な気がしています。
子どもの頃の私を抱きしめて、「どんな由紀ちゃんも大好きだよ」「そのまんまの由紀ちゃんで良いんだよ」「由紀ちゃんは大事な人だよ」と一杯伝えて「いっぱい癇癪や駄々こねしていいよ。怒っていいよ。おばちゃんが聴いてあげるよ」と伝えたい。
 子どもの頃の私を認めることで、日常の生活の中で色々感じる気持ちに変化が起きてくるような気がします。しばらくは、子どもの頃の私を思い出し、少しずつあの頃言いたかったこと、感じていた事を今の私(大人の私)が認めてあげようと思っています。
そうすることが、きっと、日常の生活を楽しく生きていくことにつながると思います。






 


 








 







 

 

 

 

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